次回予告
 

■説四『生き人形』■
場面 見世物小屋界隈で人が消えるという謎の事件が頻発していた。妖夷が関係しているのか調査するために、奇士たちが出動する。竜導往壓は、ある見世物小屋で異人の少女、アトルと再会する。彼女は素性を隠し、雪輪という馬とともに、曲馬乗りをしていた。事件の裏には、アトルと雪輪が絡んでいると見る奇士たち。往壓はアトルに同情し、必死に庇おうとする。

脚本/會川昇
絵コンテ/宮尾佳和
演出/宮尾佳和
作画監督/菅野宏紀 亀井治
美術監督/佐藤豪志



各話解説



【見世物小屋(みせものごや)】
見世物興行(みせものこうぎょう)をする小屋のこと。娯楽の少ない江戸時代、見世物は庶民に大変人気があったという。曲馬(きょくば)などの曲芸や、生き人形(いきにんぎょう)などの細工物など興行の内容は様々。生き人形は、その名のとおり生きているかのような人形で、松本喜三郎(まつもときさぶろう)、安本亀八(やすもとかめはち)などの有名な人形師がいた。

見世物小屋1

見世物小屋2


【花井虎一(はないとらいち)】
花井虎一 蘭学者だが、鳥居の家臣となっている。その明晰な頭脳で、鳥居に重用(ちょうよう)される。小笠原放三郎とは知り合いだった。

実在の人物。宇田川榕庵(うだがわようあん)門下(もんか)で蘭学(らんがく)に精通(せいつう)していた。渡辺崋山(わたなべかざん)のところにも出入りしていたが、「蛮社の獄」(ばんしゃのごく)の際に鳥居耀蔵側につき渡辺崋山らの検挙に協力した。その後、鳥居耀蔵の配下となり長崎奉行組与力(ながさきぶぎょうぐみよりき)となる。

・宇田川榕庵(うだがわようあん)
1798年〜1846年。医者で蘭学者。日本で初めての化学書『舎密開宗(せいみかいそう)』を翻訳した。

・渡辺崋山(わたなべかざん)
画家で蘭学者。通称、渡辺登(わたなべのぼる)。崋山は号である。高野長英(たかのちょうえい)、小関三英(こせきさんえい)らとともに蘭学者・開明派(かいめいは)の会、尚歯会(しょうしかい)を結成。そのため、いわゆる蛮社の獄(ばんしゃのごく)で、鳥居耀蔵の計略(けいりゃく)にかけられ捕らえられた。永蟄居(えいちっきょ)を言い渡されたが、2年後に自刃(じじん)した。

・蛮社の獄(ばんしゃのごく)
天保十(1839)年、幕府が尚歯会に関わる蘭学者たちに弾圧を加えた事件。



【内田先生】
小笠原放三郎が師事していた和算家。内田五観(うちだいつみ)、通称(つうしょう)は弥太郎(やたろう)。宇宙堂(うちゅうどう)とも号している。
実在の人物で、高野長英に蘭学を学び、天文・測量などにも通じている。明治に入り、太陽暦への改暦に携わった。

・和算
洋算に対してつけられた日本独自の数学を和算という。

・高野長英(たかのちょうえい)
1804年〜1850年。長崎でシーボルトに師事した蘭学者。渡辺崋山らとともに尚歯会を結成し、蛮社の獄で弾圧を受けた。永牢を言い渡されたが脱獄。逃亡の末、自刃(じじん)したといわれている。



【本庄辰輔(ほんじょうたつすけ)】
本庄辰輔 剣術に優れる鳥居の家臣。蛮社改所の動向を探っている。

実在の人物で、もともと長崎会所下役人(ながさきかいしょしたやくにん)であったが、江戸に出奔(しゅっぽん)。町医者をしていたところ鳥居耀蔵と知り合い家来になったという。以降、鳥居の屋敷内に住み長崎会所関連の情報を鳥居に流していた。



【朝鮮通信使】
将軍が代わる際などに、朝鮮王国から幕府に派遣された使節のこと。豊臣秀吉の朝鮮侵略の後、慶長十(1605)年に国交が回復。慶長十二(1607)年から文化八(1811)年まで、計12回来日した。



■妖夷・漢神■
【遊兵(アソベ)】

遊兵 鳥居耀蔵の飼う量産型妖夷。



【倛倛(ギギ)】
ギギ アソベと生き人形が融合して出現した妖夷。



【鉞(まさかり)】
甲骨文にある「往」の字は、王位を象徴する儀器である鉞の形に、足を表す字を加えた字形から成り、王の出行(しゅっこう)に際する(さいする)呪い(まじない)の儀式(ぎしき)を示す。それに、ぎょうにんべんを加えたものが「往」である。
往壓はギギから漢神を取り出そうとしたが失敗。霧散してしまった。そこで自分の名、往壓の「往」から鉞を取り出し武器とした。

鉞1

鉞2



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